【演劇】赤玉☆GANGAN~芥川なんぞ、怖くない~(流山児☆事務所)鑑賞
もう先週のことになりますが、演劇鑑賞に行ってまいりました。
観劇したものは、流山児☆事務所による「赤玉☆GANGAN~芥川なんぞ、怖くない~」@下北沢ザ・スズナリでございます。
なぜ、本公演を観劇することになったかというと、久しぶりに何か演劇でも見に行くかとふと思い立ったところ、知人に演劇人がいたことを思い出し、同氏に何か良さげなものはなかろうか?と尋ねたところ、本主催者を勧められたことによります。
やはり持つべきものは、多種多様な友人ですね。
さて、肝心の公演内容なのですが、同演劇のパンフレットに記載された流山児氏(芸術監督)の言葉によりますと、
約100年前の関東大震災後の大正末期、 震災で心の傷を負った文学青年たちが「自分の表現」を求めて足搔く青春群像劇です。芥川龍之介、谷崎潤一郎、菊池寛、武者小路実篤、島田清二郎といった偉大な作家、売れっ子作家の影に嫉妬し、抗いながらも、家族も友人も恋人も巻き込んで新しい文学を必死に志向するそのさまは、私たちの「劇現場」に似た「真情あふるる軽薄さ」です。
といったところに表現されている通りのものになります。
観劇しながら、いろいろな人物が登場するのですが、自分が一番引き込まれた登場人物は、悠木修一という人物でした。この人はどういう役回りかというと、当時の文壇においては、芥川龍之介と島田清二郎というのがある種重要なポジションを担っていたようなのですが、両者を比較分析する論考を書いたという役割が与えられています。文学界にどっぷり浸かった者からすれば、同氏の意見を聞いてみたいと考えるのは自然な感情なのでしょうが、また劇中では、同氏が中々主体的な役回りを演じることなく、なんというか傍観者としての位置づけにいたがるという感じに見えました。自分自身は何者でもない者になりたいという生き方を志向しているとのセリフもありましたが、そのことも影響しているのでしょう。そして、そのような生き方を志向する背景には「母性」の欠如というものも描かれております。
あえて自分自身のフィールドに引き付けて考えますと、いわゆる富野ガンダムシリーズにおけるシャアというキャラクターも、その生き方に「母性」の欠如というのがひどく影響しておりますし、どこまでも責任を引き受けることのないキャラクターとして描かれることが多いのですが、何か似たようなものを感じ取ってしまいました。
母性というと、この辺りの本を読むと結構面白いです。
父親の力 母親の力―「イエ」を出て「家」に帰る (講談社+α新書)
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といろいろ思考したのですが、演じておられた中島歩氏は中々イケメンで低音ボイスもかっこよく、むむむと思ったのが素人感想です笑
しかし、自分自身の観劇能力もまだまだなのか、理解が追い付かないセリフ等もあり、日々、いろいろなことを考えることの大事さを再認識した次第です。
ただ、人生いろいろだし、まぁそれなりに前向きに生きていれば何とか道は開ける、というメッセージは根底に流れているような気がしました。これが一番大事ですからね!
観劇は非常に面白かったです!また見に行きたいです!!